Saturday, December 25, 2010

マレーシア旅行。。。ってどんなかんじ? Part 3

(^^;)Part 1 & Part 2 は読みました?じゃぁ、続きまして、Part 3 !!

六日目(9月23日)

今日と明日はマラッカのことを教えさせていただきます。今日は、体調ちょっと崩したようだけど、頑張る!家殻出る予定は朝9時だったけど、皆寝坊しちゃったし、いろんな事情が当て、12時に家から出発した。マラッカ中央まで約30十分。こういう時は、ナビがあるので、助かった。最初の行き先は MUZIUM SAMUDERA (海上博物館)。この博物館は中世時代のポルトガルの旗艦、FLOR DE LA MAR のレプリカです。この船の高さは34m、幅 8m 、長さ36m。この博物館はマラッカ川にあって、その近くにあるマレーシア海軍博物館と MUZIUM SAMUDERA 2 (MUZIUM SAMUDERA の隣)の三つもの博物館の共通券で入場できる。全ての営業時間は毎日0900時から1700時までです。大人はRM 3.00、子供は RM1.00。この博物館のテーマは昔のマラッカ時代の黄金時代、そしてポルトガルがマラッカに来た後の時代など、ほとんどここに展示されている。歴史が好きな方はいらっしゃい!まぁ、マレーシアの歴史だからたぶんさっぱり分からないことが多いかもしれないけど、この船はマレーシア人にとってはとても深い意味を持つんだ。日本の場合には、1853年7月14日に、「黒船」が始めて現れて、日米関係が始めた。マレーシアの場合では、ポルトガルの太守、VASCO DA GAMA (VDM)(ヴァスコ・ダ・ガマ)が艦隊とともに始めてマラッカに来た。最初はマラッカ政府との貿易協定のためにマラッカスルタン(王)を訪ねた。その時、ジャワとグジャラートからの商人は、ポルトガルの本当の目的は、キリスト教を広める為だと、マラッカスルタンに報告した(あの時は、マラッカが東南アジアのイスラム教の中心だった)。このニュースがスルタンの耳に来て、すぐそのポルトガルの代表を逮捕した。ポルトガルはその時商売の許可だけではなく、軍隊の基地まで要求した。その要求を断られたので、VDM はマラッカに攻撃をした。そのの攻撃先頭は、FLOR DE LA MAR だった。二回目の攻撃でマラッカはポルトガルに負けて、昔のマレーシアの初めての殖民だった。次の博物館は特に面白いものはないが、魚の種類や海洋のことに興味があれば行けばいい。

FLOR DE LA MAR(色は確かに黒だな!) 

はぁい、歴史の授業はここまでで~す。

昼食は友達の実家で。じつは、その時、初めて彼の実家へ訪問した。作っていただいたマラッカ料理はやっぱ辛い。ほんっっとう辛い!でもその時は、彼のお母さんが手加減して、少し甘くした。にもかかわらず、日本人お友達はすげぇ汗かいたんだ。。。まぁ、あれも海外旅行のスパイスとも言えるかなぁ~

夜には、MALACCA RIVER CRUISE をやった。ボートは30-45分毎に出稿する。桟橋はスタダイスビルの近くで、警察署の向こうにある。乗船券は大人:RM 10 、子供:RM 5。トリップは約30-40分で、マラッカの古い橋、伝統の家、博物館など。このクルーズは夜にやったほうがおすすめです。k川岸に並べてあるビルは点灯され、雨のない日には絶好です。なぜかというと、僕達が行った時に、雨だった!大雨じゃなかったから、よかった。

昼、MALACCA RIVER CRUISE の桟橋

ボートから見える水車

帰る前に、スタダイスのビルの前に集合写真は忘れないで!

雨の中であろうが、なんであろうが。。。

その周り (あれはベチャです - 三輪自転車)


教はマラッカで最後の日だった。今日は金曜日。ムスリムの特別の日です。昼にモスクへ行って、集会礼拝をやった。ということで、家から12時にぐらい出発してマラッカ中央まで約40分かかった。昼は暑い。北海道の涼しさになれた僕も、久々のマレーシアの気温はやっぱたえられなかった~ ~なんって。よるは、マレーシア人の友達の家族と一緒に夕食をした。その場所は、PORTUGUESE SQUARE です。PORTUGUESE SQUARE とは、ポルトガル人の定住で、ここにいる人達は昔のポルトガル人の数十世代の子孫です。マレー人、インド人と結婚して、ここに暮らし続けていた KRISTANG (クリスタン)の人達しです。PORTUGUESE SQUARE はマラッカ中央から約20分運転です。ここではマラッカの名所の一つであるが、ポルトガル人の文化ダンスとかは普段やっていない。っていうか、ここに来ている人達はほとんどポルトガル料理を食べにきたっていう理由で来た。このレストランは海に向いているので、食事の後は桟橋に散歩でもすればいい気持ち~ぃぃ。

詳しい情報と写真などはこちら(英語)!

七日目(9月24日)

午後5時ぐらい、マレーシアの友達が抜けられない事情があったので、途中で分かれた。ということは、僕たち5人車に詰めて、またクアラルンプールに戻った。5人分の荷物 +5人の体重 =重くて、車があまりスピードだせなかったけど、なんとなく無事でクアラルンプールまで着いた。彼らはまた同じホテルに泊まった。明日は、僕達の先輩の結婚式なので、今日は本当疲れたんで、おやすみ~~  (-o-)Zzzz


八日目(9月25日)

今日は4年生の先輩の結婚式へ行った!今日はいい日になたはずなのに、僕が交通事故に巻き込まれちゃって、気分悪くなっちゃった(ったく!)。日曜日なので渋滞に巻き込まれた。車がすっげぇ多かった。一瞬間でもぼっとしちゃうと、大変なことになった!まぁ、怪我もしていないし、(相手の車の弁償だけは。。。)、終わったら一旦家に帰った。するととく考えてみると、こんな日は二度と来ないから、やっぱり結婚式行かなきゃ!

結婚式にチェンドルというマレーシアのデザートを日本人の友達に味わってもらった。旨いんだって。。マレーシアで「かき氷」のことを「アイスチェンドル」もしくは、「アイスカッチャン」と呼びます。チェンドルとはマラッカ名物の緑色のゼリーのようなモノ。カッチャンとはマレー語で「豆」。つまりアズキ(紅豆)を意味します。お椀に、チェンドルやアズキなどの具を入れ、シャカシャカと氷を削って山盛りに。ココナッツミルクにグラ・マラッカと呼ばれる黒糖シロップをかけたら出来上がり。地元の人はシャビシャビに混ぜ合わせて食べてマス。「かき氷」だから、飲み物じゃない!。氷とシロップをスプーンで削りすくって食べる。どんな食べ方をしても美味けりゃOK!スタイルを気にせず涼食を楽しみましょう。グラマラッカとはマラッカ名物の黒糖。原料はサトウキビじゃなくココナッツの樹液なんです。甘さの中にタップリのミネラル。お試しアレ!

見た目だいたいはこんな感じ。暑いマレーシアに絶好!

詳しく知りたいならここ、またはここへ。

九日目(9月26日)

今日はまずマレーシアの皇居行きました。マレー語では ISTANA NEGARA (イスタナ・ヌガラ)と呼ばれている。さすがに VIP じゃないから、入れない。けど、正門にはイギリスのバッキンガム宮殿の衛兵がいて、 近衛兵の交代儀式まで見れる(その時間は分からない、ごめん)。

こんなかんじです。(イギリスの影響で、衛兵の制服は赤)

宮殿の正門

つぎは、マレーシアの国立博物館を訪ねた。電車とか通らないけど、電車に乗って、KL SENTRAL 駅に降りて、サインボードを見ながら、500メートル歩けば着ける。あるいは、KL HOP-IN-HOP-OFF バスを乗って、MUZIUM NEGARA 停(12番目)に降りる。車やバイクで行くなら、駐車場があり、車:RM 2, バイク:RM 1が駐車代になる。入場券は一人RM 2 です。12歳以下の生徒と制服を着ている学生には無料。博物館の開閉時間は毎日9:00時から18:00時までです。

外から(KL SENTRAL からも見える)

館内の展示物

無料の館内ツアーガイドがある。日本語の場合は先に予約が必要。連絡先:+603-2282-6255 (マレー語・英語)

KL HOP-IN-HOP-OFFバスのことですが、クアラルンプール市内に回って、22ヶ所の名所をかぶって、好きなところに降り、あるいはバス内から市内の様子を楽しめる。バスは毎日朝8:30時から夜8:30時まで走っている。バス内では事前に記録された案内があり(ヘッドフォン)、マレー語、中国語、インド語、アラビア語、日本語、フランス語とスペイン語から選べられる。乗車券は、大人(RM 38)、家族・5人グループ(RM 160)、高齢者・学生・身障者(RM 17)。5歳以下の子供は無料。乗車券はバス内に直接投入できるし、クアラルンプール市内のホテルにも買える。

アッパーデッキからの景色は最高!

ついでに博物館の話だから、博物館に「クリス」っていう昔の武器が展示されている。クリスは、インドネシアやマレーシア、ブルネイ、タイ南部、フィリピン南部で主に見られる、独特の非対称の短剣である。英語ではKrisないしKerisと表記される。武器であり霊的なものでもあるクリスは、幸運ないし悪運を持つもつ存在と考えられる。2005年に、ユネスコがインドネシアのクリスに、世界無形遺産の称号を与えた。クリスはクランク状に曲がった柄を持ち、それは刺し込む様な打撃の補助として役に立つ。同時に手首の強さのために、斬りつけている時に、刃に圧力を加えることが出来る。クリスは柄の幅のある刃以外に、特別に手を保護するようなものが何も無い。そしてその刃が最小の保護を提供している。希なケースとして、クリスの刃は鍛造されたものあるかもしれないので、刃の軸は、柄の軸に対して曲がっている。その意図は、自動的にうねを持った刃を得ることである。しかしこれはまずく作用し、武器を脆弱にしている。クリスは毎日身につけられ、特別な式典において先祖伝来の家財と共に、連続した世代を通じて継承される刃である。武器の他に、精神性や神話の一部として必要とされた太古の刃を、年一度の掃除はしばしば使い古して、薄くする。

クリス(左:クリス本体、右:カバー(シース))

現代はよく使われていないが、特別なイベント(結婚式など)二だけ使われていて、興味のある方は CENTRAL MARKET (CM) に販売されている。だまされないために、クリスの専門家と一緒に行けばいい。偽りと本物のクリスをちゃんと比べれるから。

その次は、KUALA LUMPUR CITY CENTER (KLCC) 行きました。KLCC、あるいはツイン・タワーは現在にも世界一の高いツイン・タワーです。ツイン・タワーは1998年に完成したマレーシアのクアラルンプール( 北緯3度9分28.26秒東経101度42分41.94秒)にある超高層ビル。ペトロナスタワー、ペトロナスタワーズとも呼ばれる。20世紀の高層建築としては最も高い、高さ452mの88階建てで、マレーシアの国立石油会社ペトロナスによって建築された。設計はシーザー・ペリ&アソシエーツ。この塔はイスラム様式でマレーシアのモスクに似せて作られており、特徴的な尖塔を持つ。建設当時はこの尖塔を含めた高さで建築物世界一を誇っていたが、2003年10月17日に中華民国(台湾)の台北101に世界一の座を譲り渡した。ただし、二本のビルが対になっているツインタワーとしては依然として世界一の高さを誇っている。建築に関しては日本の建設会社ハザマがタワー1を、韓国のサムスン物産建設部門がタワー2を、それぞれ建設した。なお、41階と42階の二箇所に設けられた2本のタワーを結ぶ連絡橋(スカイブリッジ)は、フランスの建築会社による施工である。海側から吹いてくる強風による振動を防ぐために、既存の柔構造を採用しなかった点が構造的特徴となっている。軽量のコンクリートを積み上げる方式をとっており、この種の構造物としては重厚な造りになっている。42階には両方のタワーをつなぐスカイブリッジがあるが、部外者は利用する際にパスを得る必要がある。それに、そのパスをもらうために、朝7時ぐらいから長い列を並ばなきゃいけない。更に、毎日の入場券が限定されている。入場代は基本的に、大人:RM 10、子供・My-Kad(マレーシア人の身分証明書)を持っている人:RM 3。2001年9月11日以降はセキュリティ強化の為に一時閉鎖されていた。建物の周囲にはKLCCパークがあり、ジョギング、ウォーキングロードや、ライトアップされた噴水、子供用プール、スラウ(イスラームの礼拝所)などもある。

僕達が行ったのはそのツイン・タワーじゃなくて、1階にあるショッピング・モール、SURIA KLCC です。中には、ROYAL SELANGOR PEWTER (ロイヤル・セランゴル・ピューター)に行った。ここではいろんなピューター品が販売されていて、RM 30 からRM 10,000+ の値段範囲です。詳しいことはこちらへ。ピューターのお土産(こんなお土産)はおすすめです。

最終日(9月27日)

最終の日として、やっぱお土産買わなきゃ。クアラルンプールではお土産といえば、一番有名な場所は CENTRAL MARKET (CM)です。電車で行くならPUTRA-LRT に乗り、PASAR SENI 駅に降りて、すぐ近くにある。ここではシャツ、お菓子、飾り物、ジュエリーなどが簡単に手に入れる。もちろん値切るもできるよ。じゃないと、外国の人々にはたまに高い値段払わなきゃいけないこともある。そして、いい店を選んで、好きなお土産GET !。偶に人が多いので自分の貴重品に十分気をつけてね!

CENTRAL MARKET 内

ということで、マレーシアツアーはここに終わります。本当はマレーシアにもっと見たい、もっと行きたい所がいっぱいあったけど、時間がたりなくて、いろいろな問題が出てきたので、行けなかった。みなさんも、マレーシアに旅行をすれば、せっかく海外に行くから、新しい世界、新しい人々と出会い、新しい食べ物を挑戦してみてください。もちろん、旅行・バックパッキングだから、途中にいやな想いもあり、いろんな問題や危険なこともあるかもしれない。だが、それこそ旅行の「スパイス」になると思う。旅行はスムーズでいくならはいいけど、想いでは残れないかもしれない。他の国には文化や毎日の生活は母国とは違う場合もある。だから、母国と同じ過ぎし方なんて思わないで、文句とかぶつぶつ言わないほうが、海外旅行が楽しめる方法の一つだと思う。

読んでくれてありがとう。 いつかマレーシア行ったら、より良い旅行をしましょう!

P/S:本に書いてあるものはあくまでも参考としてね。自分の体験は自分で挑戦しよう!



Saturday, November 20, 2010

マレーシア旅行。。。ってどんなかんじ? Part 2

Part 1 はどうだった?久々に日本語のエントリーなんで、文法・語彙などのミスが多いと思います。すみません。

さて、つづきで~す。つぎの目的地はイポーです。イポーはペラ州の州都です。イポーには旅人向けの安いホテルが多い。20日のよるには

四日目(9月21日)

マレーシア西海岸の北部に位置し、北部はクダ州、タイ(ヤラー県、ナラーティワート県)、南部はスランゴール州、東部はパハン州、クランタン州と接する。州都イポーは、もともとスズ鉱山で発達した都市のため、人口の約75パーセント以上を中国系が占める。中国系の広東人と客家人が多いため共通語は広東語(広府話)になっている。スズ生産量が激減する一方で工業化に成功したとされるマレーシアにあって、産業構造の変化によりペラ州の国内での相対的地位は低下し、州のGDPは13州中8番目となっている。

イポーの旅は朝9時にホテルから出発。最初は朝食です。日本人の友達はやっぱ「ロティ・チャナイ」と「テー・タレ」が気に入った。ということで、「レストラン・ママッ」へ向かって”給油”する。しかーし、ロティ・チャナイ以外のユニークな食べ物発見!それを日本人の友達に紹介して、すぐそれを頼んだ。そのたべものは「ロティ・ティッシュー」というたべものです。名前どおり、ティッシューのように薄くて、ぱりぱりです。だが、甘いので、健康的なものとは。。。あっ、そういえば、マレーシアのたべものは甘いもの、辛いものが多いんだよ。辛いっていうか、スパイス入っている食べ物も多い。ロティ・ティッシューの作り方も見せてくれた。やっぱり、あぶらっこいですよね~。だから、普通の人はロティ・チャナイなどは一枚で十分。炭水化物分が高い。そして、ロティ・チャナイやロティ・ティッシューなどはカレーをつけて食べると Part 1 に書いた。僕達が行った店はカレーの種類が選べる。チキンカレーとか、ラムカレーとか。あと、マレーシアのカレーは日本のカレーとは違う。マレーシアのカレーはインドのカレーと大体同じなんで、辛いんです。まぁ、もちろん辛いもの苦手な人は店に注文する時に、「辛くしないでください」って言ったら、対応される。


イポーに最初の行き先は ペラ・ダルル・リズアン博物館 (Perak Darul Rizuan Museum)です。かつて錫鉱山で使われていた用具や炭焼きの道具類、ジオラマやペラ州の自然を紹介したパネルなどを展示しているミニ博物館。展示物はそれほど多くなく、ゆっくり観て回っても1時間もあれば十分。博物館横の敷地には鉱山で使われた軽便鉄道やトロッコ、かつての軍事車両などの屋外展示もある。展示物のほとんどがマレーシア語の解説のみだが、一部には英語の解説が付いている。なお、館内の2階部分は土足禁止で、見学の際は1階の階段横の靴置き場に靴を置いて行く必要がある。

GUA TEMPURUNG (グア・タンプルン)

昼にはイポー町から約20分ぐらいの KELLIE'S CASTLE (ケリーズ城)へ訪ねた。ケリーズ城は1915年に建設が始まって、1926年に完成したスコットランドのプランターのオーナ(WILLIAM KELLIE SMITH)の屋敷です。この屋敷は妻か息子へのプレゼントとして、あげるつもりだったんだが、1926年に、ポルトガルへの出張中、肺炎で亡くなりました。最初はケリーズ夫婦は長女、ヘレンが生まれた。数年後、跡継ぎが欲しがっている WILLIAM SMITH はやっと息子に恵められた。その前に、ある一人のインド人の労働者が「アッマン」― ヒンドゥの女神に祈ってくださいって勧めた。息子が生まれたから、その女神との感謝として、その屋敷の近くにヒンドゥのお寺が立てられて、そのお寺の屋上には、その女神の像の隣に、白人の像が未だに見られる。KELLIE'S CASTLE の優れたところは屋敷のインド(マドラス)風のデザインだけじゃない。一つは、この屋敷が完成したら、マレーシアで初めてのエスカレータがある建物になる。そして、二つ目は、この屋敷の前に流れている川の下に、屋敷からお寺までつながっているトンネルがある。また、屋敷の屋上にはテニスコートの建設の予定があったので、現代の基準でも、高級なレベルの計画の一つです。この屋敷のすごさは、ロンドンの LONDON FINANCIER 、1911年9月15日の記事に記録された。そして、この屋敷は1999年の Anna and The King という映画の設定になったことで、それ以来、客数が増加していく。ローカルの話によると、夜や夕方の時にたまに WILLIAM SMITH の幽霊がさ迷っていることが多数発見された。これは、屋敷内にある掲示板に、注意が書かれてある。ツアーの時には、マナーを守って、大言壮語、悪意、いちゃいちゃするなどは遠慮したほうがいい。ルールを守らないと、信じられない事実が、何かがされることが起こる可能性があるので、ローカルのアドバイスに従った方がいい。といっても、夜に行く機会があれば、ぜひ見に行ってください。夜には、屋敷は点灯されているので、写真として超きれい!

KELLIE'S CASTLE

3時ぐらい、イポーの名所、サン・ポー・トン寺(霹靂洞)へ行った。サン・ポー・トン寺のほかの名前は「ペラトン」です。市の北にある、石灰岩の洞窟の中に作られた中国寺院。中に大仏が安置されている。洞窟には階段が造られており、階段を昇って行くと視界が開けた場所に出て そこから市の郊外の景色を見下ろすことができる。ただ、汗だくになって昇るほど価値のある風景では正直ないので、寺院の方に時間を費やした方が賢明かもし れない。あまり交通の便がよくないところにあるので、市内から時間貸しでタクシーを雇うとよい。タクシー料金は寺院拝観と往復の時間を含めて1時間で RM25ほどである。ここでは犬がいっぱいいる!が、人を襲わないから(番犬)不安がない。中までは入らなかったけどね~。次、イポーに行かなきゃ行けないところ行った。それは、「THE LOST WORLD OF TAMBUN」です。残念だが、火曜日は定休日ということが知らなかったんで、行っちゃいました。詳しいことは(英語)こちらへ!

皆疲れているし、他に行きたいところもないから、その日にまたクアラルンプールに戻った。ブキッ・ビンタン(BUKIT BINTANG)エリアに「BAMBOO INN」という安いホテルが多く並べている。一泊は一人分RM 30(1000円ぐらい)で、基本の設備付き。こんなシンプルなホテルは旅行者向けで、クアラルンプールの中心に近い。BUKIT BINTANG, CHINATOWN, BERJAYA TIMES SQUARE などは全て徒歩圏内です。BUKIT BINTANG エリアのナイトライフはにぎやかで、バー、ナイトクラブなどはあっちこっちです。近くに AIN ARABIA という場所がある。あそこはアラブ人の店舗でも言えるし、香水、カーペット、シーシャなどが多く販売されている。BUKIT BINTANG エリアには人が多くて、貴重品はよく確認して、人がいないところを避けること(基本だよね~)。マレーシアの犯罪率低いが、一番有名なのはバッグ引ったくり事件。女性はよく狙われている。また、BUKIT BINTANG エリアに万一何かされたら、交番が多いので安心。交通はめっちゃ混んでいるし、うるさくて、空気が悪いことが多い。BUKIT BINTANG の裏には売春婦が多いので、気おつけてください。たまに、しつこいことがある。もし声、かけられたら、断って、そのままあそこから出れば、大丈夫なはずです。夜遅くまでは、BUKIT BINTANG まだ賑やかだけど、若者が多いので、外国の客には危ないと思うので、ホテルにいたほうがいい。

BUKIT BINTANG

五日目(9月22日)

今日は KUALA GANDAH ELEPHANT SANCTUARY (クアラガンダ・像保護区)たどり着いた!。クアラガンダ(KUALA GANDAH)はパハン州にある小さな町で、クアラルンプールから車で110km、約1時間半かかる。ここへ行く前に先に予約が必要。KUALA GANDAH ELEPHANT SANCTUARY はDepartment of Wildlife and National Parks(野生生物国立公園局)二管理されている。入場は無料。あそこに何が面白いかというと、象とのふれあい。つまり、象に餌をやったり、象を乗ったり、そして一番有名なアトラクションは、象と一緒に川に入れる。象たちにストレスをかけないため、毎日、100枚限定赤いシールと黄色いシールが配布されているので、予約が必要。普段は三日前に予約すればいい。赤いシールを持つ方は象に餌をやることにしか参加できない。黄色いシールを持つ方は象に餌をやったり、乗ったり、川に入ったりできる。グループツアー(5~6人程度)の場合では皆黄色いシールがもらえることもあり得る。

あっ、そうだ。クアラガンダに到着したのは12:00時ぐらいだったので、あと1時間ぐらい自由時間があった。その1時間内にクアラガンダ・像保護区から約10分運転して、もう一つの観光地がある。「DEERLAND」 というところです。DEERLAND と言っても、あそこには鹿ばかりじゃない。あそこには広場があって、数十匹の鹿がいた。日本での奈良公園の鹿のように、鹿を触れたり、餌をやったりすることができる。あそこの餌は芋です。餌の制限がないから、何回やっても、かまわない。ここで注意。DEERLAND 入る前に、汚れてもいい服を着用した方がいい。じゃないと、鹿の体に泥がついているから、餌をやる時に、鹿に囲まれて、服が汚れちゃうから。そして、蛇もいた。蛇は無毒であって、肩にマフラーのように巻くんです!最後のアトラクションは熊です。熊はマレーグマ類です。DEERLAND には3か4匹いたんじゃないかな~。そして、その熊に近づいて、後ろから抱くことができる。信じられないけど、自分がやった!しかも、オス熊だった。でも、抱く時には、トレーナが餌をやりながら見張っているから、安心!。。といっても、熊だよね(^^;)。キャンプ好きな方、ここで有料のキャンプ場があるけど、予約が必要。入場はRM 5(大人) RM 3(子供)。

マレーグマを後ろから抱く体験!

もう1時だ!また、KUALA GANDAH ELEPHANT SANCTUARY に戻った。さて、象の話に戻りましょう。

スケジュール以下の通りです。

13:00, 13:30, 15:45 >>ビデオ(見なくても良い)

14:00 ~ >>象に餌をやる。餌はパパややバナナやスイカなどのマレーシアの果物です。終わったら、Elephant Ride と象と一緒に川に入る。

15:30 ― 17:00 >>自由行動

注意
  1. KUALA GANDAH ELEPHANT SANCTUARY ではレストランがあるけど、郊外なので値段が少し高いこともある。食事は持参した方が勧めている。
  2. 象と一緒に川に入る際、ビキニや水着を着用しないこと。マレーシアはイスラムの国なので、地元の文化に注意。
  3. KUALA GANDAH ELEPHANT SANCTUARY は ELEPHANT PARK ではないので、象との行動は制限があることをご了承ください。
  4. すべてのアクティビティ(餌をやったり、背中乗ったり、川に入る)などはあくまでも、客に対するの体験をさせるにすぎない。
  5. 晴れな天気が多いので、暑さに弱い方は防止をかぶること。十分な水も用意すること。
僕達 が行った時に晴れだった。いい天気だけど、マレーシアはやっぱ暑いんだ!カメラマンの僕は皆の荷物を見張っているから、赤いシールで、他の皆は黄色いシール。餌をやるぐらいでいいっか。。せめて、象には触れたことがあるから、いい経験になった。象の肌はやわらかそうに見えたけど、触ってみると、硬っ!毛も少ない。餌をやる時には、餌を直接口にやるか、鼻にやるかどっちでも OK。ただ、口にやると、ちょっとだけ手が吸い込まれそうなことがあるから、危険じゃない。べたべただけで。。。

そして、像乗りイベントです。一人一回しか乗れない。像を乗る前に特別なプラットホームに列に並んで、順番で一人ずつ乗せてあげる。乗る時には各像のトレーナも乗っているので安心。大きい象の場合は二人か三人まで乗れる。一周は回って、大体10分ぐらいかかる。 終わったら、一旦休憩所に休憩する。そして、一番待っていたイベントが来た。いよいよ象を乗って川に入る時間が来た。人が多いから、また列に入って、あぁぁ~~疲れた!カメラマンとして、いい瞬間にシャッターを。。象を乗るときにきっと皆わくわくしちゃうんだよね~。心配は要らない。川が浅いし、象たちも人を襲わないから。川から上がってから、着替えに。時間的にいうと、最初から最後までの時間は大体3~4時間かかる。いろんなことをやって、何かが食べたくなるよね~。小さい店とレストランがあるけど、もうちょっと我慢できれば、クアラガンダから出て、ちょっと遠いけど、ちゃんと名ところがある。僕達の場合は、相談したから、同じ日にマラッカへ行くことに決めた。一旦クアラルンプールに戻って、給油してから、旅が続いた。クアラルンプールから出るのは19:30時ぐらいだった。途中では大雨が降っているけど、なんとなく2時半後、マラッカに到着した!

今夜はもう一人の友達の家に向かった。実家じゃないけど、お父さんの農場の家です。マラッカの中心から約半時間かかった。道が暗くて、大雨の中で、道路の表面も悪かった。。。あぁぁ、運転には不安だったけど、なんだか面白かった。到着した直後、すぐベッドに倒れた。あっ、風邪引いちまったっ!明日大丈夫かなぁ~。んじゃ、今日はここまでです。明日はマラッカツアーがあるので、朝早く起きないと、それじゃ!

    Saturday, November 6, 2010

    マレーシア旅行。。。ってどんなかんじ? Part 1

     Assalamualaikum w.b.t, アッサラーム・アライクム w.b.t  (あなた方の上に平安あれ)

    ただいま!あーーぁ、マレーシアから戻ってきた!悲しかったけど、授業始まっちゃうから仕方ない。いやぁぁ~北海道って20度なのに、なぜかがすごい寒いと感じる。マレーシアは暑い国だから、30度と20度はかなり差があるよね。室蘭ではそろそろ秋です。葉っぱの色がまだ赤くならないけど。

    さて、皆さんの夏休みはどうですか?僕は帰国して、日本人の友達にマレーシアを案内し、マレーシア半島の西海岸を回った。ちなみに、マレーシアっていう国のことが知っているか?っていうか、マレーシアの存在知っているか?なぜこんなばかばかしい質問をするかといういと、日本にいる間に、ほとんどの日本人に地図を見せれば、「マレーシアはどこですか?」ときいてみたら、インドネシア、あるいはシンガポールを指した。 ^^;

    今回のエントリーはマレーシア旅のことです。

    1日目(9月18日)

    最初の日は、僕達7人ペラ州のイポーに、 もう一人の参加者を迎えにいった。イポーでは友達の結婚式に誘われた。日本人にとっては初体験だった。昼間中に、辛いものを食べて、皆めっちゃ汗をかいた。マレーシアでの結婚式はめっちゃ賑やか。予定はランカウィ島に着く予定だけど、途中にいろんなところ(道の駅)によったので、遅くなった。PLUS 高速道路-北方面 (PLUS Highway) の途中に、R&R Bukit Gantang という道の駅がある。そこに、24時間マレーシアの果物が商売されていて、よらなければならない名所です。日本にもない果物もある。例えば、ランサット、ドコン、ジャックフルーツなどです。観光客、特に外国人の観光客に、無料試食ができる。うまくて、甘かった。そして、3時にぐらい、再び、出発した。約8時にアロースタ(クダ州の都市)に着いた。軽い雨だったけど、無事でホテルに着いた。その夜には Hotel Seri Malaysia (Alor Setar) に一泊した。一日中はほとんど車中に過ごしたけど、いろんな景色が見られて、楽しかった。明日は早いので、早く寝た。

    2日目(9月19日)

    今日の出発早いから、早起きした。0730時に、皆ホテルのレストランに朝食をした。朝食はビュッフェ式だから、食べ放題!マレーシアの朝食といえば、ナシレマー、ロティ・チャナイ、テー・タレー、ミ・ゴレンは一番です。ナシレマーとは、伝統的な形であれば、バナナ木の葉っぱで巻いているご飯とアンチョビー、きゅうりスライス、ゆで卵とサンバル。サンバルというのは唐辛子から作られ辛いマレーシアソース。ロティ・チャナイとは、インドの食べ物で、ナンパンの種類の一つ。ロティ・チャナイは鉄板上に焼けて、熱いうちにカレーと食べるもの。ミ・ゴレンとは、日本だと焼きそばに似ている。テー・タレーとは牛乳が入った紅茶のことで、冷やすために、二つのマグカップで一つのマグカップからもう一つのマグカップに紅茶を移すこと。マグカップを引っ張りながら、紅茶を移す。「引っ張り」はマレー語で 「tarik (タレー)」と呼ばれ、紅茶は「テー」と呼ばれるから、合わせてテー・タレーが名前になった。

    ナシレマー
    テー・タレー

    ロティ・チャナイ

    ミ・ゴレン。

    ランカウィの紹介

    マレー半島の北東部クダ州の沖合には99の美しい島々が浮かんでおり、その中で最も大きな島がランカウィ島です。ランカウィは誰もが楽しめる観光地で、近代的な国際空港、整備の行き届いた道路、最先端の設備を誇るマリーナ、素晴らしいゴルフコースなど国際レベルのインフラが整っている。また、ホテルも格安から最高級リゾートまで並んでおり、各種アクティビティが充実している。ランカウィの美しいビーチはバケーションを満喫するのに最適な場所です。クアラクダから北に22km行ったところにあるタンジュン・ルー・ビーチは、その名の由来となったカジュアリーナの樹々が並び、美しい砂浜が広がるビーチで、ピクニックには最高の場所である。どこまでも続く美しい砂浜はまさに癒しそのもの。海に沈む夕陽の眺めはまさに絶景です。ランカウィの西部にはダタイビーチ、コックビーチ、ブラウ・ベイ、テンガー・ビーチなどのきれいなビーチがたくさんある。ダタイ・ビーチには18ホールのゴルフコースがあり、ランカウィの素晴らしい眺めをバックにゴルフをお楽しみいただける。また、ランカウィ国際空港から3キロ離れてのチェナン・ビーチはランカウィで最も賑やかなところです。高級ホテル、格安のシャレー、レストランあっちこっちに並べており、マリンスポーツ用の施設が充実している。


    ランカウィはビーチだけでではなく、自然と触れ合うアクティビティもある。山に流れる滝から神秘的な洞窟までランカウィの素晴らしい大自然を満喫できる。その他にもランカウィには子供からお年寄りまで誰もが楽しめる場所がたくさんある。マレーシア最大の水族館「アンダーウォーターワールド」ではいろんな魚や生き物の種類が見れる。また、工芸センターやお土産も多数あり、マレーシアの特産バティックのドレスやシャツ、銀製品などが並んでいる。これらの場所では伝統芸能ショーーやバティックのワークショップも開催されている。 ゆっくりとリラックスしたい人は、島の各地にあるスパへどうぞ。熱帯雨林に囲まれてくつろぎのマッサージが受けられる。そして、免税の島ランカウィはまさにショッピングの楽園です。ピューター(半田)から香水、皮革製品まで実に多彩な品々がお手ごろ価格で求めていただける。


    ランカウィにいた証。。

    クアラクダからランカウィ島へいくのに、フェリーに乗った。搭乗券は大人:RM23,子供:RM12。フェリーは各30分に出発する。ランカウィ島 (Langkawi Island) へ向かった。ランカウィ島はマレーシア北西部のアンダマン海にある島。地元の言葉でランは鷹、カウイは大理石を意味する。クダ州に属し、この周辺の 104 の島々を含めてランカウイ群島と呼ぶ。数多くの伝説が語り継がれていることから、伝説の島と呼ばれている。ランカウィ島行きのフェリーはクアラクダ、あるいはクアラプルリスから乗れる。クアラプルリスから乗る場合は、クアラクダより安くて、時間あまりかからないが、プルリス州まで行かなければならない。ところで、クアラプルリスはクアラクダから約1時間半かかる。ランカウィ島は12時ぐらいに着いた。フェリー中の冷房は寒いので、ずっと寝ていた。クアラクダ桟橋で先に予約したレンタカーに乗って、シャレーへ行った。Cenang Beach の Malibest Resort に泊まった。Cenang Beach は観光客に一番有名なところです。どこへ行っても、ホテルやシャレー必ずあるので、便利。次の予定は Island Hopping、3~4時間で、ボートから選ばれた島へ行って寄ったり、鷲に餌をやったりなどをすること。

    皆と相談した結果は、Island Hopping を止めて、Langkawi Cable Car (ランカウィ ケーブルカー)へ行くことになった。Langkawi Cable Car は Gunung Mat Chinchang (マ・チンチャン山)にあって、 ランカウィ島の最新のアトラクション。Langkawi Cable Car はホテルから約10km。めっちゃ雨が降っているから、ケーブルカーに乗れるかどうか分からなかった。着いたときには軽い雨でよかった!チケットは大人:RM30,子供:RM20。42度の傾きで、2.2キロの経路を通って、頂上(709m)まで運ばれた。頂上には、ランカウィ島のほとんどが見られる。ここでは、3つのステーションがある。Base Station、 Middle Station(650m) と Top Station(708m)。Base Station は、Gunung Mat Chinchang の端山に設立されたオリエンタル・ビレージ(Oriental Village)のケーブルカーのターミナル山から帰ってくる観光客は、帰る前にお土産などの店に寄れる。次、Base Station から1700メートル離れて、Middle Stationです。ここの展望台から、ほとんどの回りの島が見れる(写真)。ゴンドラから、Telaga Tujuh Waterfall (トゥラガ・トゥジュ滝)と500万年前にできたユニークな地相が見られる。Top Station で、ランカウィ島、クダ州、そして。。タイまで見られるよ!ここでの気温は地上の気温より4~5度ぐらい低いので、昼間中であっても、涼しい。Top Station にも出店があるので、’補給’してから、Base Station へ戻った。Gunung Mat Chinchang には、ケーブルカー以外、もう一つのアトラクションがある。それは、Hanging Bridge ですよ!このHanging Bridge とは、2004年に完成して、地上から100mにある一本でしか支えられていないキャノピー・ウォークのことです。Hanging Bridge上から、下にある花花しい森林の景色が楽しめるんですよ。高度に苦手な人、気をつけてね~。Hanging Bridge は一般の橋と違って、構造が曲がっている。だから、橋上にいても、歩きながら周りの景色が変わらなくても、視点が変わるから、いつもより違う景色が感じる。Hanging Bridge へ行く前に、スポーツシューズを履いたほうがいい。それは、ブリッジに着く前に、10分ぐらいのねーチャートレールを通ってから、ブリッジに着く。道が滑れるから、足跡十分気をつけること。

     Hanging Bridge からだよ!

    さぁ、下を見ると。。。。

    そして、帰る前に、記念写真を忘れないでね~!

    ランカウィケーブルカーから次の名所へ向かった。その場所は「ダタラン・ラン」(Dataran Lang)という名所です。このところはランカウィの特徴の一つであり、ジェティ・クアー(Kuah Jetty)から出ると、左側に見える。正直、ダタラン・ランには何もないところです。ただ、大きな鷲の像があって、観光客に記念写真所として有名なんです。また、ダタラン・ランの夕方は最高ですよ!海から潮風を楽しみながら、ゆっくり走っているフェリーを見ると、なんか気持ちいいよね~。

    田舎の景色、クダ州には田んぼが特徴です。


    マレーシアのナイト・マーケットってこんな感じだ!(ゴミは気にしないでね~m--m)

    その夜には、ランカウィのナイト・マーケットへ行きました。ナイト・マーケットとは日本での祭りと同じぐらいの雰囲気です。出店がいっぱい張っていて、マレーシアの食べ物、魚、野菜、服などが販売されている。しかも、値段が円にすると、超安いので、行く価値があるところで~す。マレーシアのナイト・マーケットへ行けば、おすすめの食べ物がある。それは、クロポッ・レコー「KEROPOK LEKOR」というものです。クロポッ・レコーというのは、マレーシア半島の東海岸の特徴の食べ物です。クロポッ・レコーは魚、サゴヤシ、小麦と塩からつくられている。食べ方は2つある。生のクロポッ・レコーをゆでて食べてもいいし、揚げて食べてもおいしい。普通はマレーシア人はケチャップをつけて食べるんです。どこのナイト・マーケットでも必ず手に入れるものです。また、おすすめの飲み物は砂糖きびジュースです。マレーシアではアイル・タブ「AIR TEBU」というんです。砂糖きびジュースはやっぱ疲れた一日の薬だよ~。ジュースはどうやって得るかが直接見れるんだ。

    これはクロポッ・レコーです~うまいぞっ!

    砂糖きびジュース。暑い時に飲みたいなぁぁ~

    砂糖きびを抽出する機械

    三日目(9月20日)

    今日はランカウィツアーの最後の日です。朝早く起きて、8:30ぐらいにホテルから Check-Out。最後のアクティビティはシュノーケルです!場所はパヤ島(PULAU PAYAR)という場所だ。ダイビングやシュノーケルするなら、やっぱりパヤ島海洋公園だよ!!この海洋公園はランカウィ島から南に10海里ほど下がったところにあり、パヤ島を始め、カチャ島、レンブ島などの美しい島々が点在している。ダイビングやシュノーケルをされない方もグラスボートで足下に広がる美しい海中世界を堪能することができる。ランカウィ島からマリンパークまではスピードボート、またはカタマランで約1時間です。シュノーケルは午前だけにやっている。出発時間はどこのツアー会社でも同じ、ほとんど9:30に出発。軽い雨が降っているけど、シュノーケルをやりたい気持ちが。。。「雨なんて、なんぼのもんじゃ!」。クア桟橋に着いた時にもう雨が止んだ。時間ちょっと遅れたけど、なんとなく間に合った。9:35ぐらい、スピードボートを乗って出発した。着替えはボート中でやる。そして、大きいな荷物はボートに預けて、パスポート、カメラ、財布、薬などの貴重品がパヤ島に着いたら持っていくこと。パヤ島に着いて、ボートが桟橋に近づけないので(珊瑚礁破壊防止)、小さい船に乗り換え。このときはスリッパを履いた方がいい。桟橋に滑るので、注意すること。貴重品などは無料で預けれる。必要なときはスタッフに声をかけて、すぐ対応されるから。


    始めは初心者向けの説明(英語)がある。道具の使い方、泳げる範囲、不正行為などによく注意される。終わってから自由時間!さぁぁ。。海に入ろう!パヤ島にはさめ、海鼠(なまこ)が多い。さめは人を襲わない。近づけもしない~~。だが、海がきれいで透明なんで、桟橋からはっきり見えるんだ。僕はこのときはじめて、日本にもなまこがいると友達に言われた。へぇぇ~日本のどこにあるんだろうな~。話に戻る。12時に昼飯時間だ。ローストチキン、お水、ケーキそして、なぜりんご~~。シュノーケルできるところ二つある。パヤ島のビーチ。もう一つはビーチから少し離れてある小さいなプラットホームにもできる。あそこを行きたい人はいったん桟橋に集まって、スタッフと一緒にボートで行く。あそこには水色が濃い青い。ということは、深い。だが、泳げない人でも行ける。救命胴衣は各自に配られるから安心。海に入った瞬間、僕がすこしびびってしまった。こんな深さ人生にはじめてだなぁぁ~。あそこにダイビングできる。深さは何メートルあるんだろうね。水面から見ると、珊瑚礁はやっぱりきれいだよね。写真や雑誌よりインパクトが違う。小魚が珊瑚礁に遊んで、たまに近づいてくることもあるんだ。クア桟橋に戻るのは4時だから、3時半にまた桟橋に戻った。あっ、そうだ。パヤ島には普通の水がない。トイレでも海水使われているので、帰るときはちょっと我慢して、クア桟橋にシャワー室が借りるから。


    いよいよランカウィから出るか。。超短かったなぁぁ --;。けど、これからマレーシアの他のところも友達に見せたいからスケジュールきつくなる。19:00時にクアラクダに到着。つかれたけど、19:30にイポーへ向かって、再び旅が始まった。あの夜は大雨だった。それでも高速道路120km/h まで走れた!(危険で交通違反なのでご遠慮下さい)イポーには一人のメンバーの家へ向かって、彼が三日後に日本に戻るのでいろいろ準備をひなきゃならない。だから、どうしてもあの夜イポーまで着かなきゃならなかった。11:00時、やっとイポーに着いた。ホテルについて、もう限界だった!ツアー・ガイドさんこんな大変な仕事をやっているとは思わなかった~。頭がもう疲れた。ちゃんと考えられなかった。ハァァッ~今夜はお休み。明日からイポーの見物かぁぁ。もう、、寝よっ!

    つづく

    Saturday, October 16, 2010

    Comel? salah laa....kawaii.

    Assalamualaikum w.b.t (Peace be upon you)

    Have you ever heard about J-Pop? Do you know anything about J-Pop? Well, J-Pop is a term specially designated to a genre of a pop-music originated from Japan. Now, let me assume you're not aJapanese anime and manga fan. Why? because most otaku, they tend to like most of the anime songs. That answers the reason of a recent survey done by Oricon, a Japanese corporate group that supplies statistics and information on music and the music industry in Japan. According to the survey, K-On!!, an anime series which has become a phenomenon in Japan, especially in the anime world, ranks top for few consecutive weeks, thanks to the voice actress's fans (mostly otakus).  

    Now, this J-Pop phenomenon are so famous, it has across the ocean and now....it's in Malaysia. The latest trend, a new talented teen singer, Fiffy has hit the nation! When I was in Malaysia for cuti raya, I did read some articles in newspaper about a new teen idol who sing a song of a J-Pop genre. At that moment I felt, ahh.....another wannabe. But last week, Nah, enjoy the song.


    Who is this new young talent? Let's take a look at her profile.

    Name: Fiffy Natasya Binti Suhaimi
    Nickname: Fify
    Race: Malay
    Religion: Muslim. No, let me rewrite it. MUSLIM
    Date of birth: 26th April 1993
    Zodiac: Taurus
    Height: 143 cm
    Weight: 38kg
    Hobby: Watch Movies, Singing
    Favourite music: All Music
    Profession: Singer, Actress,Model, Emcee & Student

    Telemovies:
        *  RTM “On Call”
        * “Rakan Pintar”

    Experience:
        * Astro “Maya”
        * Commercial TV3 – “Simfoni Syawal”, “Mengundi”
        * Commercial “Courts Mamouth”
        * Commercial RTM - “Ceti Haram” & “Cetak Rompak”
        * Model Magazine –Bintang Kecil
        * Model Duta Sek. Men Taman Keramat (1)
        * Presenter “Programme Kids” - RTM

    Movie:
        * Cinta Kolestrol
        * I Know What You Did Last Raya
        * Cinta Fotokopi (2004)
        * Main-Main Cinta (2005)

    Album:
        * Kumpulan Wardah – 3rd Album
        * Solo Album “Kawan”- (Jan 2005)

    Movie:
        * Cinta Kolestrol
        * I Know What You Did Last Raya

    Drama:
        * Slot Samarinda “Sephia” TV3
        * Kisah Benar TV3
        * Cerekarama “Misteri Syakila”, “Situasi”.

    Achievement:
        * 1st Winner “Patriotik” – The Mines
        * 1st Winner “Talent Kids – Maju Junction
        * 1st Winner “Ms. Citrawarna”-Nilai 3, Pusat Pelancongan, Negeri Sembilan
        * 1st Winner “Superstar Kid - Carrefour

    Activities: Frenclub SMS interactive programme.

    Sounds very talented eh? Well, she is talented, I suppose. I guess this kid admires Japan and the music industry so much. Too much, I think.

    Just because you added some of the Japanese words, in this case the word 'kawaii' (cute) and 'hontou ni' (really/actuall), doesn't really make your song a J-Pop song. Plus, the music sounds very familiar with most of the anime theme song, don't you think? Maybe, shounen or shoujo-type manga/anime, if I'm not mistaken. What is shounen and shoujo? Shōnen manga is a popular genre of Japanese comics, generally about action/fighting but often contains a sense of humor and strong growing friendship-bonds between the characters. In Japan, the word shōjo has many applications outside of the law. It refers to anything of, for, or about school-age girls.Examples include shōjo manga, shōjo culture, shōjo novels, shōjo hobbies, and shōjo fashions, among others. Appearance? Yeah, I guess this kid's outfit does look similar to some famous idol/singer in Japan. A quick view at her profile in facebook, I found one of the wall photos does look JPop-ish. Wearing a school uniform outfit with an innocent face..............oh, and one more thing, that compulsory 'peace' sign stuff at your cheek. There you go. A JPop idol !! Yay! Yay!.


    It's a good try kiddo! Now, the trends in Malaysia once again will change, soon enough, maybe. To where? To J-pop style. What is the essence of Japanese style? Simple. Men becomes more manly (for those who know the special term - kakkoii). Girls become cuter (in this case, kawaii-er). Malaysian, we always admire anything foreign. Be it cars, industry, people, fashion and bla bla bla. Let's just focus on fashion for now. If you go to Japan, don't forget to observe the fashion of some Malaysian students, majority a Muslim. Now, it's not surprising anymore if I say, some of those student dyed their hair, pierced their ears, and even tattooed. Never mind. Maybe they're just trying to follow the proverb, "When you're in Rome, do as the Roman". Maybe a little change,  "When you're in Japan, wear as the Japanese wear". Barulah cool brader. So, what's the point of being cool? Trying to attract Japanese girls attention? Well, good luck then. Just remember, once a 'mat bangla'. you can never be a 'mat salleh', no matter how fluent you are in their language, or how up-to-date your fashion is. Get over with it lad. Have some pride as Malaysian will ya'?

    Oh, one more thing fiffy-shumell-san. For your information, here in Japan, there are lots of posters and signs, directed especially for men. During peak hours, most of the trains in Japan became too congested with people, mostly salaryman, a Japanese word used to refer to white collar workers. On such times, women became so prone to attack from molesters. In Japan, if such cases occurred, some women preferred not to report it to the authorities, mainly because of shame. Does that happen in Malaysia? No, I don't think so. If it does, I think the molester will be as good as lempeng lunyai by the time the police arrive, thanks to Malaysian's attitude of suka jaga kain orang lain (Care about others). Here in Japan, they were quite individualistic, I can say. You don't mess with me, I won't mess with you. Now, think again why such immoral behavior occurred in such a great country? Is it the men's fault? Or is it the women who love to wear such a dedah-dedah dress which tempted a lot of unwanted stares from guys? ハラスメント (ha-ra-su-me-n-to) is quite common in Japan, be it inside a train, at the office, even in schools. Yeah, kids nowadays are a fast-learners don't you think? That's why we as Muslim had a perfect guideline in our life, left by the greatest person ever lived on the earth. What's our guideline? The Holy Al-Quran. Who left it for us? Our beloved prophet, Muhammad S.A.W. So, rather than following J-Pop style of dressing, singing blablabla, why don't you follow our example then. I wonder what would be your answer if someone asks; "Is it OK for you as a Muslimah to colour your hair and wear those miniskirts?".......

    Sometimes, to solve problem, we shouldn't progress forward. There are times where we should turn back and look for the roots of the problems. In Malaysia's case, the recently operational pregnant teens- Sekolah Harapan- or "school of hope". It's reported that ever since it has been opened to public, no one has enrolled in the controversial facility (Source: here). You see, we spend a lot of money to build that school. Shouldn't it be easier if the authority in charge sit for a while and think for a long term solution. Will there be a guarantee the problems of baby dumping among teenagers solved? From my personal opinion, I personally think the school was there as a free facility, a getaway for teenagers from being dumped or even killed by their own family. Which means, you can still 'do' it, but please come to this school.

    "Kerana apa kami tahu? Kami juga pernah muda remaja.........seperti anda!"(another phrase from iklan Malaysia) 

    Entah la fiffy-shumell-san....if you're reading this, the change is in your hand...(iklan CELCOM ke?)

    p/s: Keep on blaming guys as the reason of immorality problems in today's world. It's not women's fault actually. No, no really. They shouldn't be blamed. Mereka kan insan yang lemah... You fight for feminism? Women rights? A little unfair I could say....

    Tuesday, September 7, 2010

    Jokes and Fun

    Assalamualaikum w.b.t (Peace be upon you)

    Masa tengah sibuk mengemas rumah semalam (maklumlah, dah nak raya), terjumpa pulak satu buku yang menarik perhatian aku. Buku ni kalau tak silap wujud sejak aku darjah 5 lagi. This book only have the book's author and the year it was published. Below I listed down some of the joke. If you think it's interesting or funny, please feel free to copy it. In case for the copyright problems that might occur, just credit those jokes to it's original author, B.K Teng.

    Safety First

    A childless couple went to a temple and requested from god Kuan Kong for a boy to be delivered to them. Their demand was granted. A healthy strong boy 'arrived' and they thanked god Kuan Kong very much. Every first and fifteenth of the Chinese month, they offered the god fruit, meat, chicken and flowers to Him. The boy became a handsome youth at the age of 18. On his birthday, the parents bought him an expensive and beautiful Yamaha motorcycle. Somehow after one week, the boy met with an accident and died. Immediately the father and the mother of the poor boy rushed to the temple and asked god Kuan Kong for an explanation. god Kuan Kong answered,"Your son sped at 125 km/h, I could only go at 30 km/h".

    Stamp

    One day, a lady bought a stamp at the post office and said to the clerk, "Must I stick it on myself?". An officer replied, "Positively not. It will accomplish more if you stick it on the letter".

    mother's milk

    When asked, why mother's milk is better than cow's milk, a medical student said: "It is safer; the cat can't get it; it's cleaner, faster, easier to handle when traveling, and....comes in a more attractive containers".

    King
    • The most powerful king on earth: working
    • The laziest king: shirking
    • The worst king: smoking
    • The wittiest: joking
    • The sliest: winking
    • The noisiest: talking
    What disasters happen 24 hours a day?
           : Day breaks and night falls
    Which is cleverer; the white hen or the black hen?
           : The black hen. Black hen can lay white eggs, but the white hen cannot lay black eggs.
    Which has more legs; one horse or no horse?
           : No horse has five legs but one horse has only four legs.

    Don't tell me your problems!

    A man went into a restaurant to order lunch and a pretty waitress came over and told him, "I have braissed liver, monkey brains, chicken hearts, deer meat and frog's legs". The man than said, "Don't tell me your problems, just bring me a sandwich and a bottle of beer, will ya?".

    Fun with words
    1. Many hands make light work
    2. Haste makes waste
    3. Two is company, three is a crowd
    4. Silence is golden
    5. Two heads are better than one
    6. White is a symbol of happiness. Could that be the reason a groom always wears black?
    7. Adolescence: When a boy/ girl is a youngster in an awkward age; too old for an allowance, and too young for a credit card
    8.  A beautiful woman is a blessing to the soul, a heaven to the eye.... and a curse to the purse.

    Wednesday, September 1, 2010

    Typical things for student Jepun yang balik beraya

    Assalamulaikum w.b.t (Peace be upon you)

    It's summer again (in Japan) and it's Ramadhan. It's a big hurdle actually to have to fast in summer. The dehydration and all those typical sickness are becoming famous during this holy month in Islam. Last year, I didn't had chance to celebrate Ramadhan with my family in Malaysia. Instead, I went for a trip around Hokkaido for five days. Alhamdulillah I have the chance this year to celebrate Ramadhan together with Eid in Malaysia.

    But, that's not what I'm going to talk about.

    In Japan, summer is the most awaited season every year. During this season, most of Malaysian students will be busy to prepare for the 'balik kampung' event. Luckily, the Ramadhan and the Eid fall on summer break lately. Memang sakan beraya tahun ni. Cuti pun panjang. But, before the big day, we usually had to sit for the final semester exam first. For me, just thinking about 'balik kampung' is good enough to make me strive for the exam. Alhamdulillah it went good with just a few subjects to be retest.   

    Facebook status
    Facebook has become an effective medium to announce to your friends of what you're going to do. Just post a wall post which can raise your friends curiosity such as: "Counting days, a month left" or "10 hari lagi, tapi lamanya macam 10 minggu" and later on people will start commenting on your post. Ada yang begitu bermurah hati menulis; "aku dah nak balik lagi 2 minggu ni. sesape yang nak order pape gtaw aku ASAP".   

    Most of the complains are usually about the internet speed issues. "Hujan 100Mbps di negeri orang, hujan 384kbps di negeri sendiri" or "Arrrggghhh tensennya ngan Celcom BerukBand ni" are just a few examples of facebook's status of the oversea students, from Japan especially. The word 'BerukBand' is one of the main reason I wrote this entry. Yes, the internet speed in Japan is way faster than in Malaysia. Those yang suka download movies or watching movies online are gonna sure to have slight dissatisfaction when they come back to Malaysia. ye la, nak tengok youtube pun kena tunggu beberapa minit for that 'buffering....' stuff.

    Ohh......aku juga ada menulis status di facebook seperti ini. "dah dpt P1 WIMAX ni, lebih jauh melangkah. kerana apa kami tahu? kami juga pgguna celcom broadband.....seperti anda.". Secara tak langsung aku mempromote P1 WIMAX ni. Tapi setakat ni, P1 WIMAX masih belum menghampakan aku lagi. Maybe because I'm staying in KL....

    Look for the words 'We buy'

    Malaysian oversea students are quite rich. I don't know how much students received monthly in other countries, but in Japan, we received 131180 JPY monthly. That's RM 4866 a month. Even most of the government's servants don't earn that much. Before returning home, dalam kepala dah berkira-kira, berapa banyak cash nak bawak balik. Then, mulalah sibuk nak mencari kat mana kedai yang conversion rate-nya tinggi. For Japan students, most of us know a "pengurup wang berlesen" located in the Mid Valley Shopping Complex. To be more specific, it's just next to the 1901 hotdog booth. Some say there's another good place in Masjid India area, entahlah. Never been there. Some even checked the current currency rates and wait until the value shows higher rates every day. Duit dah berkepuk dalam poket......berlagak la. One thing I learned until now, it's always advisable to convert your money at the country you're going to. Why? I convert about 11,000 Japanese Yen for Korean Won and get 100,000 Won in return. It happened in Chitose airport, Hokkaido. When I arrived at Incheon International Airport, I found out I could get 130,000 won from 10,000 Japanese Yen. Damn!    

    Tershashul
    Living in foreign countries for years long would make everyone able to communicate with locals, basic greetings at least. Ask any Malaysian, what Japanese words they know. A typical answer would be: Ohaiyogozaimas (Good morning), konnichiwa (good afternoon), arigato gozaimas (thank you), Ganbatte! (Good luck), aishiteru (I love you), just to name a few. For most of us Malaysian in Japan, to blend in with locals and make friends, you gotta to have to know basic Japanese skills of conversation. Among the famous words we always use is (of course) arigato gozaimas. Another famous expression is "Ahh...sumimasen" or in a fast and informal way, "ahh..suimasen", means "Oooppss, I'm sorry". When we're listening to someone, we don't stay silent throughout the whole conversation, but we make a simple body gestures to show them we're listening. A simple nod and a simple reply of "hrmm.....sou des ne" (hrmmm....it's true) or "naruhodo" (I see...) would do. The interesting part is, the habit was brought along back to Malaysia. Some of us when bumped onto others or make a mistake would abruptly say "suimasen" with a simple bow. Takpelah, tersasul sekali sekala. Speaking of tersasul, ada juga yang berniat untuk show off, yang depa ni tahu bahasa jepun, I don't deny it. How? They would wear t-shirts with japanese words on them. Another way is simply converse in Japanese in public or menyanyi lagu2 Jepun sambil mendengar mp3. Ada juga stail dimana mereka yang tahu Japanese ini membaca papan2 tanda arah atau information di tempat2 tumpuan pelancong dengan lama, dan kadang2 dengan suara yang kuat.

    Tersasul ni juga bukan setakat tersasul kata2. From the past two years I found something interesting, maybe there are doctors or researchers out there who could answer this. Setuju atau tidak, some of Malaysian students who learn Japanese had little difficulty to determine left and right, especially when guiding people.. Well, it happens to me. My job every time menumpang kereta orang lain is navigating the car. I know I want the driver to turn left and even signal it with my hand, yet I said "kanan". This syndrome(?) not just happen to me, but my friends too. I don"t know why. In Japanese, word for left is hidari(左) and right is migi (右). Ada kaitan ke? Strange...nyanyuk? Na'uzubillah!!  

    Melantak a.k.a Mengketedarah
    One of the best thing about Malaysia which you can't get oversea is the food. I admit, I craved for many things before I went back to Malaysia 2 weeks ago. There's like a long list of what kind of food I'm looking forward too. Keropok lekor, Nasi lemak, fresh roti canai (in Japan, only frozen type available), kuih2 raya, mangosteen, buah mata kucing, siput sedut masak lemak, just to name a few. Maklumlah, only few foods we can eat (Halal foods) kat Jepun tu. Japan consumes a lot of swine. Tak cukup dengan itu, the bones and the 'short-buffalo's' fat were taken to be processed. That's why when some of my friends ask, "Ehh, camne ek rasa ramen. Sedap tak?", I just simply reply "tak penah makan". hrmmm, pengaruh Naruto. Maybe most of us didn't know, they use the short-buffalo's bones or heads for the soup's broth. Baru sup. Belum masuk topping dan inti ramen yang pelbagai tu.

    Duduk oversea susah nak dapat peluang makan makanan Malaysia, except for those who live near the Malaysian Embassy. When there's a function or any politicians visiting the country, memang mewah dan bertuah sungguh siapa yang pergi ke embassy. Why? Lauk always berlebihan, sampai boleh ditapau. Ingat rajin ke student nak buat sate, masak rendang daging, buat karipap and all those kuih muih? Bila lagi nak mintak kerajaan dan pak menteri belanja.   

    Duduk oversea ni, memang diakui kadang2 kita mengidam nak makan masakan Malaysia. As the alternative, masak sendiri. Kalau jadi, siap panggil member2 makan sekali serumah. Kalau tak berapa  nak jadi, habiskanla lauk tu sorang2. Tu yang bila dapat peluang balik ke Malaysia, peluang tak disia-siakan. Guess what, my first place I went directly after I arrived in Kuala Lumpur is Bazaar Ramadhan. Everything looks delicious. Hah.... Tu dia penangan berpuasa di Malaysia. Malam terawih pertama di Malaysia sedikit meletihkan. But all those letih dan mengantuk suddenly disappeared when it's Moreh time. What's the moreh time? It's the time after the tarawikh prayer where the Jamaah (congregation) sit and have a light meal while chit chatting with others. At this time, you suddenly feel the people increased. Kalau yang solat tarawikh ada 30 orang, yang makan moreh 40 orang. How's that possible, you tell me. Moreh time, especially in the early month of Ramadhan would see a lot of food and delicacies. From Tepung Pelita, karipap (curry puff), kuih lopes, badak berendam, buah melaka....fuiiii....it's finger licking good lah. All those kuih are just perfect with the Teh Tarik or Teh O' halia. Now this is Malaysia. Every time makan (eat), makan and makan. 

    Tidak keterlaluan rasanya sekiranya kerajaan membuat slogan, "Malaysia, the food's heaven". There are cases dimana selepas balik ke Jepun, ramai yang bertambah mata dacingnya (istilah mak aku). Raya to be blame, not your lust and desire to eat. Hah.

    On-the-road attitude
    After years in Japan, I can hardly remember the roads and the shortcuts around KL. To tell the truth, I really missed all the jalan in Malaysia. Why? In Japan, we don"t have "bonggol" on the road. They don't even need it, really. They don't have mat rempit problems, so they don't need one.  Also in Japan, it's very very rare to hear the car behind you honk at you. Here in Malaysia, we love honking each other. Examples; bila nak membelok di simpang, sunat muakkad hukumnya menekan hon supaya tidak bertembung dengan kereta dari arah simpang yang hendak dimasuki. Second, selepas melawat rumah kengkawan, sedara mara, Malaysian akan hon sambil melambaikan tangan tanda, "Dah nak balik dah ni. Tima kasih la bagi tumpang tidur semalam.". What makes driving dangerous in KL is, lately many road users dah tak pakai signal dah bila nak memotong line. Kalau bagi pun, 3,4 saat lepas tu terus mencilok. To make it worst, buat pulak tu time traffic jam. Kalau orang dulu2 yang belajar membawa kereta, bukan setakat lampu signal, tangan kena keluarkan dari tingkap tanda nak mintak izin memotong. Dah dapat masuk, tangan diangkat as a sign of 'thank you for giving way for me'. Seperkara lagi, I found Malaysian hate to line-up. Jangan tengokla kaunter2 kat hospital ke KFC ke...yang tu sanggup beratur. Look at the plaza toll. Lorong hanya satu, tapi line ada 2. Bila dah dekat sangat dengan pintu lorong baru bagi signal. Well, it took a lot of skills and tricks to drive in Malaysia, KL especially.

    Cuba cakap sikit
    Usia muda remaja, ramai yang akan tertarik untuk bertanya, especially sedara mara or pakcik dan makcik jiran tetangga kat kampung tu. Let's recreate the scene. "Dah kerja ke?". "Belom lagi pakcik, tengah belajar lagi.". "Oooohhh, universiti mana?". Before this, my answer was "Blaja kat Jepun pakcik.", and the expected default reply is "Uuuiii, hebat tu. Jepun eh?" and the most annoying things to keep up the conversation is, "Ohh, pandai cakap jepun la ni. CUBA CAKAP SIKIT.". Now, why I called it so annoying. Because, there are millions of phrases in  not only Japanese, but other language. Which one do you want us to say? Kalau yang loyar buruk atau bajet lawak, the best answer for the question "Cuba cakap sikit" would be "SIKIT". I think I want to change the way I answer in the future. Macam ni. When asked "Universiti mana?", I'll try to answer. "ada satu universiti kat utara Malaysia pakcik". "Ooohhh, UNIMAP ke? ke UUM?" and my answer will be "Atas sikit dari dua tu pakcik", with hope that the pakcik won't ask further more. This kind of questions only happens to students from Japan or Egypt....perhaps. It's understandable that people won't ask such questions to students from Ireland, Canada, Australia, USA or United Kingdom. I don' t know, maybe my friends who are studying in Russia, India or France could tell me, whether they have such experiences. ohhh, one more thing, perasan tak disamping orang teruja kita ni boleh 'speaking' atau tidak, another default compliment atau pemanis kata would be "patutlah muka pon dah macam orang Jepun ni haaa...". Iye lah makcik. ape-ape jelah.

    p/s: cuba cakap jepun sikit....JEPUN SIKIT..dah.

    Tuesday, August 17, 2010

    August 15 ------ It's Bon Odori (Bon festival)

    Assalamualaikum w.b.t (Peace be upon you)

    The day before yesterday was August 15, 2010. In Japan, this date marks a significant festival celebrated in most part of Japan, the Bon Odori, also known as the Bon Festival. Originally, on this day, the Japanese will dance to welcome the spirit of their dead ancestors home. People believe that their ancestors' spirits come back to their homes to be reunited with their family during Obon and pray for the spirits. For the reason, Obon is an important family gathering time, and many people return to their hometowns. Typically, the celebration begins on 13th and ends on 16th August. Today, Bon dance is performed as a folk dance. Today, besides Japan, the Bon is also celebrated in Brazil, Malaysia, Canada and USA.

    Japanese people clean their houses and place a variety of food offerings such as vegetables and fruits to the spirits of ancestors in front of a butsudan (Buddhist altar). Chochin lanterns and arrangements of flower are usually placed by the butsudan. On this day, some Japanese will put 'something' outside of their houses. Usually it was made of a cucumber or a eggplant. It's not an offering. Let's see what this 'something' looks like.

    There you go (Shouryou - uma)

    As you can see, the cucumber and the eggplant were pierced with a broken wooden chopstick. They will then put it outside the house. If I'm not mistaken, the cucumber is the symbol of a HORSE, while the eggplant is a COW. They'll put the 'horse' outside their house during the early day of festival, and the 'cow' at the end of the festival. The reason is, they wanted their ancestors to descend from heaven and come to their house quick, so the spirits need something fast to carry them. So, they took out the horse. As for the cow, cow are slower than horse. Which means, they wanted a slow goodbye. They wanted their ancestors to ascend back to heaven slowly. Well, it's Japan. It's cuter isn't it?  On the first day of Obon, chochin lanterns are lit inside houses, and people go to their family's grave  to call their ancestors' spirits back home. It's called mukae-bon (迎え盆). In some regions, fires called mukae-bi (迎え火) are lit at the entrances of houses to guide the spirits. On the last day, people bring the ancestor's spirits back to the grave, hanging chochin painted with the family crest to guide the spirits. It's called okuri-bon (送り盆). In some regions, fires called okuri-bi (送り火) are lit at entrances of houses to send the ancestors' spirits. During Obon, the smell of senko (Japanese incense sticks) fills Japanese houses and cemeteries. Toro Nagashi (floating lanterns) is a tradition often observed during Obon. People send off their ancestors' spirits with the lanterns, lit by a candle inside and floated down a river to the ocean.

    Shouryou-uma (精霊ー馬) (image above)

    The representative objet d'art of Obon would be the cows and horses made of eggplants and cucumbers attached with sticks as their feet. These folkways are said to be the "vehicle of the ancestors" and they are called Shouryou-uma. It is deeply related with "the reception and send-off" of the spirits.In many regions from Hokkaido to central Japan, they make Shouryou-uma in the 16th, Okuri-bon. They make horses and cows with the eggplants and cucumbers used as funeral offerings, and throw it to the rivers and seas together with the other funeral offerings.In the other hand, in the Kanto region, they make them in Mukae-bon, 13th, and throw them in Okuri-bon. In this case, there are 2 types of regions. In one region, they make the cows in Mukae-bon, and make horses in Okuri-bon. In other regions, they make these in the opposite way. The point of view of the former one is; "Make the cows to salute the spirits in a courteous manner, and make the horses to have them go back in a hurry. This shows a strong sense of fear to the new spirits that are not reposed enough. And the point of view of the latter one is; "Salute the spirits early with the horses, and have them take their time in the way back on cows. This shows fellowship to the ancestors and spirits who came a long way back to their houses in Obon. The sense of fear and fellowship to the spirits both show a delicate and rich feeling of Obon.

    Also, Bon Odori (folk dance) is widely practiced on Obon nights. Styles of dance vary from area to area, but usually Japanese taiko drums keep the rhythms. People go to their neighborhood Bon Odori held at parks, gardens, shrines, or temples, wearing yukata (summer kimono) and dance around a yagura stage. Anyone can participate in Bon Odori, so join the circle and imitate what others are doing.

    Yagura stage (Selangor, Malaysia ---- Bon Odori Festival, July 14th 2007)

    I wonder, how they imagine their ancestors appearance. Is it cute like Casper? Or is it something like the ghost from the Ghost-buster? Imagine the Malay have such festival, for example. I don't think people will dance happily under the moonlight, and get ready to welcome our ancestors like that. Stop imagining things lad!! It gives me goosebumps. Why, the Malay hantu are just too many. And they like to wear white clothes............creepy! 

    Hungry Ghost Festival

    In China, it is known as the Ghost Festival or the Hungry Ghost Festival. Let me take some info from the wiki. "The Ghost Festival also known as the Hungry Ghost Festival is a traditional Chinese festival and holiday celebrated by Chinese in many countries. In the Chinese calendar (a lunisolar calendar), the Ghost Festival is on the 15th night of the seventh lunar month. In Chinese tradition, the fifteenth day of the seventh month in the lunar calendar is called Ghost Day and the seventh month in general is regarded as the Ghost Month (鬼月), in which ghosts and spirits, including those of the deceased ancestors, come out from the lower realm. Distinct from both the Qingming Festival (in Spring) and Chung Yeung Festival (in Autumn) in which living descendants pay homage to their deceased ancestors, on Ghost Day, the deceased are believed to visit the living.

    Who do you think the seats were reserved for? image credit: (http://www.ibudgethotel.com/singapore-hotels/index.php/travel-guide/festivals/hungry-ghost-festival/)

    On the fifteenth day the realms of Heaven and Hell and the realm of the living are open and both Taoists and Buddhists would perform rituals to transmute and absolve the sufferings of the deceased. Intrinsic to the Ghost Month is ancestor worship, where traditionally the filial piety of descendants extends to their ancestors even after their deaths. Activities during the month would include preparing ritualistic food offerings, burning incense, and burning joss paper, a papier-mache form of material items such as clothes, gold and other fine goods for the visiting spirits of the ancestors. Elaborate meals (often vegetarian meals) would be served with empty seats for each of the deceased in the family treating the deceased as if they are still living. Ancestor worship is what distinguishes Qingming Festival from Ghost Festival because the latter includes paying respects to all deceased, including the same and younger generations, while the former only includes older generations. Other festivities may include, buying and releasing miniature paper boats and lanterns on water, which signifies giving directions to the lost ghosts and spirits of the ancestors and other deities" (wikipedia).

    The Climax of Obon

    If July of the lunar calendar is "Bon Zuki (the month of Bon)", the few days around "July 15th" would be the focus of Obon as a whole, so to say the "climax" of the event. The position of the "focus" of Obon is 13th to 16th of either July or August focusing on the "15th of July or August" in most regions, and this tendency does not change whether it is Shichigatu Bon (Bon in July) or Hachigatsu Bon (Bon in August) or Kyu Bon (Obon of the lunar calendar).And as we see in the following "The events of Obon", core events of Obon, such as "Mukae Bon (Bon event to greet the ancestor's spirits)" and "Okuri Bon (Bon event to send the ancestor's spirits off)" are scheduled during the 13th to 16th of July or August.Why does "the 15th of July or August" become the focus?The Buddhist event "Urabon-e" has been held on July 15th from a long time ago, and it is no doubt that this schedule is affecting Obon as a folk event.However, if we observe from the folk aspect, and as we saw in "The relationship with the full moon", "the 15th of July or August" originally had various reasons to be the focus of Obon, and we can consider that Buddhism provided a shape (explanation) to this.

    Preparations for the festival 

    • Bon-michi-tsukuri
    It is widely believed that the spirits which return in Obon come back to each houses from mountains and graves near the villages. (Don't think too much about how the hell's pot is connected with mountains and graves.)Bon-michi-tsukuri is the work to arrange the return path for these spirits. It is also called "Shouryou-michi", and "Tsuitachi-michi".The work is called "Michi-nagi", "Michi-gari", "Kari-michi-tsukuri", and they mow the grass in both sides of the roads (the roads from the grave to the houses, the border of the villages, and the heads of the mountains) in teamwork. It could be a tough work for a hot season.

    • Bon-Dourou
      The spirits that come back to this world head for each "houses". To be as a sign for this, people set up hanging lanterns and paper lanterns in the high places of the gardens and around the main houses after Bon-iri. This is "Bon-Dourou". In some regions, they call "Taka-Dourou".Bon-Dourou is a very old folk event, and it is mentioned even in the famous "Meigetsu-ki" written by Teika Fujiwara that something like Bon-Dourou was performed by the citizens already in the Kamakura Era.Especially in the families which a person died within a year from the previous Obon, or in another words, in the families that there is a "New Spirit" which have the first Obon, make a strong effort in Bon-Dourou. The period in which the hanging lanterns are set up will be longer than the others. There are regions where they keep setting up the lanterns even after Okuri-Bon and until July 31, and in other regions they keep setting up the lantern for 3 years after the New Spirit come about, and throw the lantern into the river in the third year.

      • Bon-bana-tori
        Bon-bana-tori is an event that people gather flowers from the mountains before the Mukae-bon of the 13th and offer them to the Bon shelves and graves. In some regions, they call it "Bon-bana-‚�ukae". In many regions they perform it from 11th to 12th, but in some regions they gather the flowers on 7th and offer them on 13th.As they gather the flowers from the mountains where it is believed that the spirits live, it is thought that it is an event that corresponds to the New Year event "Wakagi-tori". The flowers are considered to be the "anchorage of the spirits" of the ancestors just like the wakagi (young tree).The category of Bon-bana varies depending on the region and it is colorful. Bon-bana can be a few varieties of flowering grasses of autumn, or in some regions, it can be any flower if it is a flower of the season.

        • Kusa-ichi (Plant market)
        "Kusa-ichi" which deals with goods necessary for the Bon-Jitaku is also a seasonal tradition of Obon.It corresponds to "Toshi-no-ichi" of the year-end. The name varies depending on the region, such as; "Bon-ichi", "Bon-kusa-ichi", "Kusa-no-ichi", "Bon-no-ichi", "Tamuke-no-ichi", "Hana-ichi". The goods that are dealt with in Kusa-ichi are; "Autumn grass", "Lotus leaves", "Chinese black pine", "Horses and cows made of eggplant", "Wile rice", "Hanging lantern", "Drums (for Bon Dancing)", "Round fan", "Paper lantern", "Ogara (The pedicle of a hemp after ripping its bark)". You can also enjoy a little bit of the mood of the "Kusa-ichi" in the shopping street of the urban region if you go to the shop-front of the general stores and vegetable shops.

        • Bon-dana-tsukuri
        They prepare special shelf in the houses to salute the spirits that come back in Obon. This is called the "Bon-dana". In some regions they call it; "Shouryou-dana", or "Senzo-dana". This is a very important study in the research of Obon, and even today, it is the subject of a fierce argument (confer the study edition for details). The material and how to make Bon-dana differs depending on the region, but generally they make the shelf by using bamboo as the frame, and move the ancestral tablet from the Buddhist altar and offer Bon-bana, water, and funeral offerings. In many cases, the big characteristic is that plural types of "Shelf" are made according to the types of spirits they salute. They make the shelf for the new spirits (the spirits of the people who died within a year) with great politeness. They make a highly wrought shelf with fresh bamboo and cedar leaf. In many cases they set it in front yard and edge of the eaves, and it is built facing the direction of outdoors. In the other hand, "Muen-dana" is made for muen-botoke who died leaving no one to attend to his grave. It is also called "Gaki-dana", and "Hoka-dana". The funeral offering is called gaki-no-meshi and they place field products on the leaves of lotus and aroids. It is usually made in outdoors, but there are regions that don't make shelves and offer funeral offerings placed on leaves under the Bon-dana.

        Bon-dana

        • Mukae-bi
        The event of Mukae-bi is held in the early-evening of July 13th. Mukae-bi is the earmark for the spirits just like Bon-dourou.In many regions, they say "salute the spirits early and send them off late.", and they often build the fire in the early-evening so it won't be too late at night.
        According to "Nihon no Matsuri (The festivals of Japan)" written by Kunio Yanagita, the festivals of Japan was held originally at night. The real "festival time" finally begins from Mukae-bi.The location to burn the Mukae-bi is generally;

        1.The gate or the front yard of a house
        2.Crossroad
        3.Graveyard

        At the gate

        There are some interesting examples such as; people lead the spirits from the top of the mountain with a big torch, or in the houses of shin-bon, there is an event called "Hyaku-hattai" that they burn 108 torches and salute the spirits. These are the variations of the Mukae-bi. The materials that are burnt in Mukae-bi are generally ogara (something that is made by drying the pedicle of hemp). This is sold in flower shops in the Obon season. In some regions, they burn straw, mamegara (parts of pulses that people don't eat, such as pods) bark of a white birch.

        The performance of Mukae-bi.
        An interesting performance is done in the occasion of "Mukae-bi". They say something as if the ancestor is really present, and they guide them all the way to the Bon-dana of each house.

        They call out to the spirits when they burn Mukae-bi as follows;

        "Oojiina, oobaana, umani norite, bekokoni norite, akaruini kitourae, kitourae." ("Grandpa, grandma, ride the horses and cows, and come to the place where the descendants are burning the Mukae-bi.") or "Onjii, Onbaa, korewo akarini ocha nomini oidenashite kudasare (Dear grandpa and grandma come over here to have a cup of green tea following this light.). Light up the hanging lantern and lead the spirits to the houses and guide them to Bon-dana. In some regions, they prepare water in the houses, and they have the spirits to wash their feet before the spirits enter the houses. 

        *It is not advisable to read the chants above, especially during nights. 

        There is an example in the Edo Era that they acted as if they carried their ancestors on their shoulders and enter the house and lower them in front of Bon-dana. In the end, they light the fire in the Bon-dana, and offer water. They use the fire of the hanging lantern that was used to guide the spirits home.

        Who to be blame for the loss of forest, increase of greenhouse gases and thinning of ozone layer? The fire is so huge. Only the blind ghosts will not make it back this year. But hey, they can smell right? Just hope they don't mistook the fire as the 'hell'......

        • Haka-mairi (Visit the grave)
        The custom to visit the grave is widely seen in Obon. There are many regions that visit the graves in "Mukae" and "Okuri", as I mentioned before. However, in regions like Kanto Region, they visit the graves in the middle of Obon (=Bon-chu) which is called "Rusu-mairi", or "Rusu-mimai". It is a wonder what kind of meaning there is in visiting the empty graves that they already have saluted the spirits.

        • Bon-rei
        Holding a service for the departed souls is the purpose of the events of Obon. However, there are events that are considered to repose the spirits of a person alive.

        *Iki-mitama
        In the 14th and 15th of Obon, there is an event that they visit people alive such as; "relatives of the parent's side" (parents, matchmakers, godparents), other relatives, acquaintances and give gifts to them. This is called "Bon-rei". There are regions that call Bon-rei "Iki-mitama", "Iki-bon", and "Shou-bon". This shows an attitude of repose to the spirits that are alive. Many people return to their native place in Obon. Although it is not being very much aware today, some people point out that the esprit of Iki-mitama (You should repose the spirits of parents and the people alive in Obon) is living as one of the cultural background of these rush of holiday-makers in the Obon season.

        *Bon-rei and Shougatsu-rei
        Bon-rei is an event that corresponds to "Shougatsu-rei" of the New Year. There are still many people who visit their relatives in the New Year. Generally it is said that "New Year is a Shinto ritual, and Obon is a Buddhist service", and it is considered that Obon does not have to do with auspicious events. However, there are regions that exchange greetings such as; "Congratulations for the good Obon." in the houses that there was no sadness during the last year. We can see similarity with the New Year in this.

        *Gift-giving of Bon-rei
        Various presents are exchanged in Bon-rei. "Ochu-gen" is still active today, and it originates from the gifts of Bon-rei. In the old-time China, they called January 15th "Jou-gen" and July 15th "Chu-gen". This is the origin of the name. The contents of the gifts also draw attention. Representative examples are field crops such as; Japanese vermicelli, flour, and mackerel. A research says that, the period during April through June in the lunar calendar is the season of "starvation" when the stockpile becomes scarce, and the reason why they frequently offer field crops (Japanese vermicelli, flour, eggplant, cucumber) as funeral offerings is that they can have harvest of the fields in July, and they shared the "happiness" that they could get through the period of starvation. We can see from this that Obon is a realistic festival that heals the decline of the vitality in the summer season. Also, it makes us think that holding a service for the departed soul with abundant funeral offerings was an association from the suffering of starvation.
        Sending fish and meat like Sashi-saba (A hot mackerel which is salt aired) and salted salmon is also an old custom, and it can be considered that it shows a folk custom before the formation of a conventional wisdom that none the less "Obon is a Buddhist service".

        Kyushu style offering. Set Sail !!


        reference:
        • http://www.bonodori.net/E/sekai/bonabc1.HTML
        • www.kyo-butsudan.com/mameetc/obon.html
        p/s: For Muslim, this month is the holy month of Ramadhan where all Muslims fast. In Ramadhan, we Muslim believe, all the gates of Heaven is widely open from the beginning of Ramadhan, till the end of Ramadhan. While the gate of Hell is shut tight all along this Ramadhan. Be grateful to Allah Muslims! Yeah, pity to those who waited for their ancestors to visit their home yesterday. "I'm so sorry, son! The gate does not open la tonight. Next month, I drop by your house OK? alalalala......don't be sad! I promise.....OK?

        Hsppy Ramadhan Al- Mubarak to all visitors!